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タイ雑感 (No.86) 懐かしのホンダ・シャリー、タイで発見!

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先日、会社のスタッフとお昼を食べに行く途中、懐かしの「シャリー」を発見しました。
場所はイースタンシーボード工業団地近くの集落Pluakdaeng(ポックデーン)です。

日本からはるばるタイに渡ってきていたんですね。

シャリーとは何だ?という人が年代によっては大半だと思いますので、少し説明しておきます。1972年から2000年まで販売されたホンダのファミリーバイクで、50ccと70ccの2タイプがありました。

写真は恐らく後期型でタイヤカバーなどが鉄製から樹脂製に変わり、軽量化されたタイプだと思います。

シャリーがなぜ懐かしいというと、私が高校生の時に乗っていたバイクだったからです。
(初期型70cc)

1979年当時の和歌山ではなぜか、おばちゃんからヤンキーにいたるまで、シャリーは絶大な人気を誇っていました。今考えると不思議ですが・・・。

田舎ではヤンキー(偽ヤンキーも)がこのおばちゃんバイクを改造して乗るのが一般的なスタイルでした。

キャブをいじくったり、ハンドルを絞ってチョッパーにするやつ。
サスを切って、おまけにシートまでぺちゃんこにしてシャコタン?にするやつ。
マフラーにわざと穴をあけ、轟音が気持ちいいと言ってた 迷惑なやつ。

改造内容は人それぞれでしたが、競い合うように皆が改造を楽しんでいたように思います。
私はキャブ変更のみで、外観はそれほどいじりませんでしたね。

私が免許を取って、バイクに乗ることができたのが高校1年生まででした。
当時学校側とPTAが「3ない運動」を推し進め、高校2年の時に免許を取り上げられたのです。3ない運動とは「乗らない」「買わない」「取らない(免許を)」ってやつです。

当時の私は若気の至りからか、「国で定められたルールに従って取得した免許証を取り上げる権利が学校側にあるのか!」などと言って差し出しを拒否し続けました。

「乗らないことは約束するが、免許証は出さない」と偉そうに言っていた自分が今では恥ずかしいですね。免許取得費用も親に出してもらったのですから。

結局、校長、担任、部活の顧問、親の全員から説得され、渋々差し出したのですが、全校で私が最後の一人だったようです。

高校の卒業式で撮られた記念写真には、返却された免許証を手にした自分がしっかりと写っています。そういう過去もあって、シャリーの姿を久し振りに見た時、とても懐かしく思ったのでした。

その後、大学の4年間もシャリーのお世話になりましたが、卒業後に親戚のおばちゃんに譲りました。あのシャリーは今はどうしているんでしょうか?

30年前の話しですので、きっとスクラップになっていることでしょう。
少し寂しいです。

2013年6月10日(月) 長井